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新潟発のVCとしての誇りを胸に、地域と投資先を力強く支え続ける。

新潟ベンチャーキャピタル株式会社
代表取締役社長 永瀬 俊彦

更新日:2024年1月31日

1992年 青山学院大学法学部卒業、株式会社住友銀行入行。
2001年 異業種間交流としてベンチャー企業に出向し新規事業立上げに従事。
2003年 学校法人新潟総合学院に入校、東京本部統括本部長に就任。
2007年 事業創造キャピタル株式会社設立、専務取締役就任。
2009年 同社代表取締役就任。(2023年退任)
2015年 新潟ベンチャーキャピタル株式会社、代表取締役就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

裏方の高校生たちの姿から、人を支える仕事にあこがれを抱く。

私はもともと埼玉県出身で、最初から新潟に縁があったわけではありませんでした。高校生のときに、横浜スタジアムで行われた高校生のバンドコンテストを見に行く機会があり、そこでイベントを運営する同じ高校生たちの姿を目の当たりにしました。そんな彼らの姿に感銘を受け、人を裏方で支える仕事に憧れを抱いたのです。

そこで、「人を応援する仕事がしたい」との想いから、大学卒業後は当時の住友銀行に入行しました。なぜなら住友銀行には、松下幸之助氏の創業を応援したことやアサヒビールのヒット商品であるスーパードライの開発アシストといった、裏方としての成功事例が多くあったからです。

入行後は東京郊外で個人向けの住宅ローンに関する業務を担当しました。そこで個人の顧客に向き合い、ゼロから信頼関係を築いていく大切さを学びました。その後、中小企業の融資などを手がけた後に異業種間交流としてベンチャー企業に出向し、新規事業の立ち上げに従事しました。この体験から自分で事業を動かしていく面白さに目覚め、やがて銀行を退職しました。

新潟と東京をつなぐハブの役割を経て、新潟に移住。

2003年、人材紹介会社を介してNSGグループの主体である学校法人新潟総合学院に転職し、東京本部統括本部長に就任しました。当時のNSGグループは実業家の池田弘氏がプレーヤーとして活躍していた頃でした。地方活性化という観点からのベンチャー支援に大きな魅力を感じました。ここで私は、新潟と東京の人材をつなぐハブの役割を果たしました。

その後、グループ内のベンチャーキャピタル部門が別会社を作って独立することになったため、それに伴って新潟総合学院を退職。事業創造キャピタルを立ち上げ、専務取締役に就任しました。

2009年には新潟県が5億円を投じてベンチャー投資用のファンドを設立し、公募でファンド運営会社を選ぶことになり、私たちはその公募に手を挙げました。公募に参加するにあたり、新潟の財界の方々に私たちが考える地方ベンチャーキャピタルの在り方や将来像などを説明したところ、多くのご賛同と株主になっていただける約束を取り付けられました。ここに新潟ベンチャーキャピタルが誕生しました。

なお、新会社の社長は専任かつ新潟在住者でなくてはならないという県の規定があったため、社長は外部の人材に任せることになりました。初代および2代目の社長を経て、2015年に私が3代目の社長に就任。これに伴って新潟に住所を移し、本格的にこの地に腰を据えて働くことになったのです。

「新潟」をキーワードに、有望な企業を見出して後押しする。

新潟ベンチャーキャピタルのミッションは、県内企業に投資し、その成長を助けることによって地方創生に寄与することでした。しかし当時の新潟には、上場できるだけの実力を持った企業が極めて少ない状態でした。

そこで2016年に設立した二つ目のファンドからは、県内企業だけではなく、新潟出身者が経営している企業や将来新潟のためになるであろうビジネスモデルを持った企業を探し出して投資し、それをきっかけに新潟と絡んでもらうという方針に改めました。

それ以後、2023年に三つ目のファンドを立ち上げ、約30社に投資してきました。その中にはフラー株式会社、note株式会社、株式会社エンゼルグループなどの企業も含まれています。

IT企業であるフラー社は、当時は千葉県に本社がありましたが、新潟出身の経営者たちが運営していました。私たちはそこに、新潟を代表する企業であるスノーピーク社を紹介しました。同社は全国・全世界にファンを持つアウトドア製品を手がける企業です。フラー社はスノーピーク社のアプリ開発を受注したことで収益が大幅に伸びることとなりました。

さらに、メディアプラットフォーム「note(ノート)」を手掛けるnote社でも、新潟出身の社長が活躍しています。同社は現在、新潟県の教育委員会と提携を結んでおり、県内の公立高校がnoteを使ってホームページを作るといった取り組みが始まりました。

エンゼルグループ社は、もともと越後湯沢で地域の不動産事業を手掛けていた企業ですが、リゾート不動産の再生ビジネスを立ち上げ、インバウンド需要も取り込み大きく成長されました。その他にも、新潟の生鮮食品を東南アジアに輸出する企業、新潟に生産工場を設立する企業などがあります。

私たちはこのように「新潟」をキーワードとして多くの企業に投資するとともに、その活躍を後押しし続けてきました。

新潟発のベンチャーキャピタルとして、地域や投資先企業と共に成長を。

私たちの会社には二つの大きな強みがあります。一つ目は、ただ資金を出すだけではなく、投資先企業が成長するまで伴走することで株主や地域に貢献できる存在であることです。私たちが投資をするときの判断基準は、単なる目先の利益だけではありません。なによりも「ここに投資をしたらこんな応援ができるだろう」-そんな仮説を立てた上で決定しているのです。

二つ目は、この新潟という土地に根差していることです。現在、首都圏で成功しているベンチャーキャピタルはありますが、地方で成功しているところは、まだ多くはないでしょう。地方におけるベンチャーキャピタルの役割は、ただ単に投資をして元本を回収することだけではありません。地域に根差し、これからの新潟の発展に貢献することこそが肝だと思っています。

現在、そのための活動の一環として私たちは県からの要請を受け、地域活性化のためのイベントを年10回ほど開催しています。例えば大学生を集めて、学生たちと地元企業の関係者が直接対話できる場を設けたり、小学生を社長にして経営のシミュレーションを行ったりしています。

これは未来の起業家を育てるといういわゆるアントレプレナー教育の一環でもあり、個人的にも大変面白いと思っています。さらに、女性や若手起業家を応援するような集いも定期的に行っており、今後は地域のスタートアップ企業への投資も計画しています。

創業間もない企業への資金供給はとてもハードルが高い分野ですが、たとえまだ大きな実績がなくても、ポテンシャルのある企業に対しては、継続的に投資と支援を続けていきたいと考えています。

私たちはこのようにしてファンドを成功させながら、地方発のベンチャーキャピタルとして地元・新潟と共に、より大きく成長していきたいと願っています。

求めているのは新潟や地方への大きな「愛」を持った人材。

今当社が求めているのは新潟、そして地方への愛着を持っている人材です。目先の儲けだけでなく、継続的に支援・応援していくことが重要です。新潟はとても広いですし、都心からも離れています。だからこそ当社では、そうしたことを物ともせず、新潟のため、地方のために何かをしたいという熱い想いを持ち、そして顧客と一緒になって汗を流せる人材が必要なのです。

2023年、新潟県内ではエンゼルグループ1社が東京プロマーケットに上場しました。2024年はうまくいけば新潟から4社ぐらいの企業が上場すると予想しています。この流れが続けば、いずれ新潟は良質なベンチャー企業を継続的に生み出せる地域となるでしょう。

私たちは創業以来、一貫して裏方に徹して企業と地域を応援する姿勢を貫いています。こんな私たちと一緒に、これからの新潟を盛り上げてくれる人材を心からお待ちしています。

編集後記

コンサルタント
皆川 暁洋

インタビュー時点において、東証グロース市場(旧マザーズ市場)に上場した県内企業は株式会社スノーピークが最後で、2014年まで遡ります。今回のインタビューでは、「新潟で新しい上場企業を生み出すんだ」という永瀬社長の強い意志を感じました。

縁あってやってきた新潟を盛り上げるために、精力的に動かれている永瀬社長の姿を拝見し、ぜひ一緒に新潟県内企業を盛り上げたいと決意を新たにしました。

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