転職成功者インタビュー

ミズホ株式会社
松浦大輔さん(仮名・品質保証) 52歳

50代で故郷・新潟にUターン。モノづくりのキャリアを医療業界で活かす。

念願だった故郷へのUターンを果たし、全く想像していなかった異業種、しかも医療業界という新天地で意欲的な毎日を送っている松浦さん。前職では責任ある立場ということもあり、プライベートを削って仕事に追われる日々。戻りたいと思っていた故郷にも帰ることができないまま50代となり、「職業人として歩むのはあと何年もない。終わったとき、自分はこれでよかったと思えるのか。自分には何が残るのか」という思いに駆られたという。そして選んだ、転職という道。「50代で全く新しい業界に飛び込んで、毎日勉強しているなんて、一体何をしているんだと言われるかもしれませんが」と笑うが、その表情には充実感があふれていた。そんな松浦さんの転職ストーリーを振り返っていただいた。(※本記事の内容は、2021年12月取材時点の情報に基づき構成しています)

過去の
転職回数
1回
活動期間
エントリーから内定まで245日間

転職前

業種
電機メーカー
職種
技術
業務内容
ATMに搭載する紙幣処理装置の開発

転職後

業種
医療機器メーカー
職種
品質保証
業務内容
医療用の各種インプラント、鋼製器具、機器類の品質保証

技術者としての経験は別業界でも活かせる、と背中を押してもらった。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

ミズホ株式会社は医療機器メーカーで、手術で使うようなピンセットやハサミをはじめとする器具や、体の中に埋め込むインプラント、各種機器の開発・製造をしています。私は工場の品質保証部門に所属し、出来上がった製品をテストして、市場に出しても問題ないか、きちんと保証できる製品であるかを確認することが主な仕事です。医療機器は特殊で、製造して販売するにはいろいろな規制があるため、それをクリアするために動く仕事もあります。

入社前のご経歴を教えてください。

新卒で東京の電機メーカーに入社して、約30年、主にATMの紙幣処理装置の開発を担当していました。私は新潟市の出身で山形県の大学に進学し、卒業後は新潟に戻りたかったのですが、当時は新潟県内でいい就職先が見つからず、新潟に工場があるということで、その会社を選びました。入社後、東京で4年間勤務し、一度新潟に転勤しましたが、再び戻されて東京で過ごしてきました。

転職のきっかけは?

新潟に戻りたいけれど、この会社ではもう新潟への転勤はないだろうなと思ったことが、ひとつの理由です。そして最も大きな理由は、多忙で自分の生活が成り立たなくなっていたことです。管理職でしたし、海外相手の仕事がメインだったので、時差の関係で夜遅くまで仕事をし、帰宅はかなり遅かったですね。そして日本が夜の間も海外では仕事が動いていて、朝になると状況がガラリと変わっています。通常の時間に出勤していては対応が間に合わないので、早朝から出勤していました。独り身だったらそれでもいいのかもしれませんが、家庭を持っていると何のために仕事をしているのだろうかと思うようになりました。50代になって“働けるのはあと何年”と数えられるレベルになってきて、「仕事が終わった時、自分には何が残るのかな」と深く考え、このままではまずいんじゃないか、と思うようになりました。世の中は新型コロナウイルス禍でしたし、年齢的にもこのタイミングが本当に良いのか相当悩みましたが、転職する決断をしました。

転職活動はどのように進めましたか?

実家に帰るという前提で、新潟の企業でどこかいいところがないか、ホームページを見たり、ハローワークの募集をウェブでチェックしたりして探しました。そのなかで、たまたまリージョナルキャリア新潟(運営会社:株式会社エンリージョン)に掲載されている求人のなかに気になる企業を見つけて、問い合わせをしました。面接でコンサルタントの五十嵐さんにお会いしたとき、転職に関するいろいろな情報を教えていただきました。意外だったのは、私が気になっていた企業に対して、「松浦さんのこれまでのキャリアと照らし合わせると向いていないですよ」とアドバイスされたこと。驚いたのと同時に、信頼できるとも感じました。自分ひとりで転職先を探していても、手に入る会社の情報は表面だけで、就職してみたら思っていたのと違った、ということはよくあると思うんです。事前に会社の雰囲気や経営姿勢といったことも教えてもらえたことが、私がリージョナルキャリア新潟に相談して良かったと思っている点です。

今の会社に決めたポイントは?

正直なところ、五十嵐さんからミズホの話を聞くまでは、異業種への転職は全く考えていませんでした。しかも医療業界ということで、私が役に立つのだろうかとも感じました。しかし、五十嵐さんから「業界は違うけれど、今までの経験、キャリアを活かす場面は必ずありますよ」と言われ、医療機器といっても基本はモノづくりなので、私がいままでやってきた設計技術の経験は活かせるし、自分のスキルアップにもなるのではないか、と思えるようになりました。また、同業種だとやはり偏った見方しかできないものですが、異業種だと違った面から見ることによって新たな気づきもあるはずだと感じて、この会社を選びました。きっと新鮮な気持ちで働ける、と思えたことは大きかったですね。

休日はしっかり休むメリハリある生活で、仕事への集中力や効率もアップ。

転職していかがですか?

医療という新しい分野での仕事なので、いまは医療のこと、業界のこと、そして実際に手掛ける医療機器関係のことを勉強しています。部品や機器がどう使われているのかを学んでいると、その先の実際の医療、つまりケガや病気に対する治療法も知りたくなって、ウェブや本などを見て学んでいます。実際、医療機器を開発するときは、大学病院や研究機関と一緒に開発していくので、そこで医師や研究者の皆さんと会話をしていかなければなりません。それは知識がないとできないことなので、この仕事をやっていく上で医療に関する事柄は必要不可欠の知識なんです。新型コロナウイルス禍で改めて医療現場が注目された時期であることや、数年前に母が亡くなった時に病院で治療についていろいろ話を聞いたこともあって、今回の転職によって改めて自分の医療への興味が顕在化してきた感じです。

転職して良かったと思うことは?

自分のメンタル部分における変化がとても大きいです。東京にいたときは常に仕事、仕事でしたが、今は休日にしっかり休むことでメリハリがついて、仕事をしたときの充実感や、効率も全然違ってきています。毎日、新鮮な気持ちで働けていますし、転職して本当に良かったです。

困っていることや課題はありますか?

役職としては品質保証部門の副部長という立ち位置ですが、まだ経験が少なくて何もリードできていないので、まずは業務に関する知識を増やすことが課題です。会社には技術部もあって、私が今まで設計・技術部門を専門にやってきたことから、そちらも目を配ってほしいと期待されているので、今後役に立つことができればと思っています。

生活面の変化はありましたか?

非常に規則正しい生活を送っています。普通に朝起きて、家にも早めに帰ることができて。ただ残念な部分もありまして、東京にいるときは電車通勤だったので比較的歩いていたんですが、新潟では車通勤なのでほとんど歩かなくなって、私の重量がかなり増えました。これはよくないですよね(笑)。週末は時間に余裕ができ、実家に住んでいるので昔なじみの地域の人たちとの交流も復活しています。先週もバーベキューをやるからと声をかけてもらって、昼から集まったりして楽しく過ごせています。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

私が転職について感じたのは、もちろん現状の仕事で充実できているかどうかも大切ですが、一時の感情よりも、ここから10年後、20年後まで自分が今の仕事を続けたとき、本当に良かったと思えるのかを考えてみて、それを踏まえて転職するかどうかを決めることが大切なのではないかということです。私も30年同じ会社でやってきて、これから先は大きく変わることはない、自分に残るものは何だろうか、このままでいいのかと考えたことが、転職を決める判断の一番の材料でした。50歳過ぎての転職は、世間的にはタイミングが良いとは思われないかもしれませんが、自分としてはその場、その場で一番正しいと思う判断をしてきたので、最良の選択だったと思っています。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
五十嵐 卓

機械設計エンジニアとしてとして多忙な日々を送っていらっしゃった松浦さん。多忙ながらも、家族や実家のことなど、常に周囲の方々を気にかける様子が印象的でした。丁寧なコミュニケーションと仕事への誠実なスタンスから、前職で高い評価を受けているのも頷ける方でした。これまで培ってきたご経験はもちろんですが、松浦さんの仕事に対するスタンスもマッチするような企業への転職を実現したいという一心でご支援させていただきました。今後は医療に携わる異業種での新しいチャレンジとなりますが、エンジニアとしてのご経験を活かしながら、同じ志で働くことができる経営者や仲間がいる環境に出会えたのでは、と考えております。松浦さんの益々のご活躍を祈念しております。

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